自殺日記


tripodのほうのページが消されてしまったのでかなり落ち込んでしまい、 何もしたくない気分です。 でも、もう1度あの場所に行くための準備をしなければなりません。 あの場所に行って、自分自身の力で生きるか死ぬか決めたいと思います。
考えてみれば、僕は今まで自分のことさえ自分で決めたことがありませんでした。 いつも他人の目を気にして、本当に自分のやりたいことができませんでした。 もしかしたら、本当にやりたいことなんてなかったのかもしれません。 生きていることさえも誰かに命令されているような気がしていました。 誰かに許可をもらわないと生きていてはいけないような感じです。
だから、余分なことは何も考えなくていいあの場所に行って、 自分で決めたいと思います。 生きるか死ぬかは僕の問題なのだから。
下見に行ったときと同じように、リュックの中に持って行くものを入れました。 スキーウェアはリュックには入らないので、手提げバッグの中に入れました。 明日は長靴を買いに行こうと思います。
あと9日。


以前、縄を買いに行こうとして結局行かなかった大型雑貨店に 長靴を買いに行きました。
外に出ると、やはり他人の目が気になります。 信号待ちをしているとき、数人の30代前半くらいの女性が反対側にいました。 その人たちは、僕に聞こえるか聞こえないかくらいの小声で悪口を 言っているような気がしました。 でも、僕はその人たちが言っていることをできるだけ聞くようにしました。 僕のことを悪く言っていたとしても、それは全部僕の責任です。 外見も中身も醜い僕が悪いんです。 だから、僕はその人たちの言っていることを受け取らなくちゃいけないと思いました。 本当に胃や心臓が痛くなりそうなくらいでした。 それでも心の痛みに耐えて、その人たちの横を通ります。 その人たちは僕のほうを見ずに、 僕の存在なんかないかのように通り過ぎて行きました。 僕は後ろを振り返ってその人たちのほうを見ました。 その人たちは、僕とはまったく関係ない話をしていました。 もしかしたら、僕のことなんかまったく気にしていなかったのかもしれません。 僕は、あの人たちにとってはまったくの他人で、僕にとってもあの人たちは他人です。 僕は、他人が恐かったのではなくて、他人の視線を気にする自分が 恐かったのかもしれないなと思いました。
1時間以上かけて大型雑貨店に着きました。 長靴はすぐに見つかって、脛を覆う部分が高いものを買いました。 テレビのニュースでは、あの場所の地域はかなりの雪が 積っていると伝えていたからです。
アパートに帰り、長靴を手提げバッグに入れてみました。 バッグはスキーウェアと長靴でいっぱいになって、 なかなかジッパーが閉まりませんでした。
これであの場所に持って行くものは揃いました。 あとはもう1度ホテルに予約を入れるだけです。
あと8日。


下見に行ったときに泊まったホテルと同じところに予約の電話を入れました。 今回もメモを見て間違えないように用件を伝えました。 予約を入れる日は土曜日なので空いている部屋があるか心配だったけど、 無事シングル・ルームを予約することができました。
ホテルの部屋にあった非常口などの説明が書いてある冊子に、 インターネットへの接続の仕方も載っていました。 ノートパソコンを持って行って、 約束の日の朝まで日記を更新しようと思います。
今回は1泊しか予約を入れていません。 僕自身どちらを選択するか分からないからです。 もし生きることを選択したら、その日のうちにどこか泊まるホテルを 探さなければならないでしょう。 もし死ぬことを選択したら、リュックの中に入っている縄ですべてを終わりにします。
残りの7日間、選択の日のためにできるだけ静かに過ごしたいと思います。
あと7日。


約束の日までどちらを選択するか考えないようにしていたけど、 やっぱり考えてしまいます。
生きることを選んだ場合、これから先ずっと苦しくて悲しくて孤独な自分と 付き合っていかなければなりません。 僕の陰気な性格はこれからも変わらないと思います。 他人と自分を恐れて、なかなか友達はできないでしょうし、 歳相応の仕事をする自信もありません。 今はまだ明るい未来をまったく想像できません。
一方で死ぬことを選んだら、すべてを終りにできます。 自分をやめることができます。
でも、そもそも自分とは何だろうと思います。 僕が生まれたのは、父と母が性交し、父が射精して、 父の精子が母の卵子と受精して、母が妊娠したからです。 受精卵が細胞分裂を繰り返し、僕という形ができました。 だけど、それは僕が僕であることの根拠にはなりません。 僕が感じることや考えることは、これまで生きてきた中の環境によって 作られてきたことだからです。 それと、僕の心の反応の積み重なったパターンです。 きっと僕は子どもの頃から生きることに苦痛を感じていて、 その苦しみから逃げたかったのだと思います。 楽になりたいと思う気持ちが積み重なって、死にたい気持ちになったのだと思います。
僕は、これまで悲しいとか寂しいと思う気持ちをごまかして生きてきました。 心の痛みを手首を傷つけることによって体の痛みでごまかしてきました。 僕は心の痛みから逃げていました。 心の痛みをごまかしていたんです。
もしかたら、生きることは、心の痛みと向き合うことなのかもしれません。 もしこれから先、悲しいとか寂しいとか苦しいという気持ちをごまかさずに逃げないで 受け止めることができたら、僕は生きていけそうな気がします。
でも、今はまだ、どちらを選択するか自分でも分かりません。 死んですべてを終わりにするか、心の痛みと向き合って生きていくか…。 今はどんなに考えても答えは出ません。
あと6日。


僕は、誰に向かって何のために日記を書いてきたんだろうと思います。
最初は死ぬ踏ん切りをつけるためだと思っていました。 でも、それならメールアドレスを載せなければよかったし、 メールを受け取ってもウェブページ上でさえ 返事を書かなければよかったんです。
僕は、始めから他人とのつながりを持ちたかったのかもしれません。 僕は、自分1人では自分の本心を確かめることさえできない弱い人間です。 だから、誰かにメールで何か言われることで、自分を確かめたかったのかもしれません。 誰かに寄りかかっていたかったのかもしれません。
でも、それでは絶対に約束の日にちゃんとした決断ができないと思います。 メールを送ってくれた人たちは、どなたも別々の考えを書かれているからです。 「生きなければいけない」という人から「早く死ね」という人まで様々です。 きっと僕は、自分に都合のいいメールだけを取り上げて、 自分の判断のように考えてしまう気がします。
僕の決断は、できるだけ僕自身でやらなければならないと思います。 そうでなければ、生きることを選択しても、きっと今までと同じように 後悔し続ける毎日を送るだけだと思います。 もし生きることを選択したら、僕は心の痛みを受け入れて、 今までの生活を変えていかなければなりません。 僕の基本的な部分は変わらないと思うけど、動き出さなければなりません。
でも、今はそんな自信はまったくありません。 どうすれば明るい未来をイメージできるのか分かりません。 死は絶対的な救済だと今でも思っています。
精神科医の方から2度目のメールをいただきました。 その方は、「あなたの心はあなた自身をも裏切る可能性がある」と書かれています。 あの場所に行き、僕がする判断は、もしかしたら間違っているかもしれません。 それでも、約束の日には選択しようと思います。
あと5日。