自殺日記ログ


夕方頃起きて手と口を何度も洗いました。 それからは、ベットの中で昨日自分のしたことを 思い出してときどき泣きながらうずくまっていました。 僕は本当に汚らわしいことをしてしまいました。

昨日は昼前に起きてクリニックに行きました。 もうクリニックに行くのは止めようと思っていたのに、 自分でもよく分からないけどまた行ってしまいました。 このままでは自殺できるだけの睡眠薬はくれそうもないし、 ぼんやりとですが首を吊ることを考え始めていたのに・・・。
クリニックでは、前回と同じような診察を行いました。
僕は、
「薬を飲んだ日は比較的よく眠れます」
と言いました。 症状が少しは改善していなければいけないと思ったからです。 それに、先生は少し体調が悪いようで、 いつもの優しい笑顔が少しぎこちない様子だったので。
診察が終り待合室に出たときに、先生と受け付けの女性の話し声が聞こえてきました。 よくは聞き取れなかったのですが、受け付けの女性が先生に、「大丈夫ですか」とか 「私もけっこう多いほうなんです」と言っていました。 先生は、「さっきも換えたんだけど」とか「下腹部が重苦しい」と 言っているのが聞こえました。 そのとき、瞬間的に隣のトイレの三角形のごみ箱が頭に浮かびました。
僕は受け付けを通り過ぎ、トイレに入りました。 ドアをロックして隅にあるごみ箱を見ました。 リュックを下ろして、またドアのロックを確認しました。 ちゃんと鍵がかかっています。 少し興奮して息が乱れていました。 深呼吸して気持ちを整えます。 ごみ箱の蓋を開けてみました。 大人の拳よりもひとまわり大きなトイレットペーパーに包まれた塊が1つだけ 入っていました。 取り出して包みを開けてみます。 ナプキンが包まって入っていました。 またトイレットペーパーで包みなおして、リュックに入っていたビニール袋に入れました。 それをリュックに収め、便器の水を流しました。 それから、僕はできるだけ無表情でクリニックを出ました。

アパートに帰ってすぐにビニール袋を開けました。 ナプキンにタンポンが包まっていました。 鼻を近づけてみると、まだ生暖かな感じがしてチーズのような匂いがプーンとします。 タンポンの血の付いたところを指で触ってみました。 手が震えます。赤黒い血が指に付きました。 僕は指をそっと舐めました。 綺麗な先生のアソコから出た血を舐めている、そう思うとものすごく興奮します。 僕は勃起していました。 ナプキンをよく見ると、先生の短い陰毛が1本ついています。 それを取って舌にのせました。 いそいでズボンとパンツを脱いでベットに横になりました。 仮性包茎の僕のペニスは先のほうしか皮が剥けていません。 ペニスを数回擦ると、もうイキそうで透明な液体が出てきました。 擦るのをいったん止めて、透明な汁が染み出たペニスにタンポンを絞って 血をなすりつけました。 ペニスに先生の血がつきました。 先生の血がついた仮性包茎のペニスはぬるぬるで、皮を剥いてしまっても 痛くありません。 ナプキンで血の付いたペニスを包んで上下に動かします。 先生の血がついたナプキンは柔らかくて温かくてとても気持ちがいいです。 女の人の中に挿入するのって、こんな感じかも知れないと思いました。 上着も脱いで裸になりました。 タンポンを胸に擦り付けます。 固くなった乳首にも血がつきました。 ペニスを擦りながら乳首をいじるともう死にそうになりました。 頭はぼうっとしているのに気持ちは興奮して、自分を押さえられなくなりました。 タンポンを直に舌で舐めてみました。 それから舌先で陰毛を転がします。 タンポンを絞ってみると、先生の血が少しだけですが出てきます。 その血も口に入れます。 すぐには飲み込まず、舌で口いっぱいに広げます。 先生のアソコの匂いが僕の中に広がります。 もう我慢できなくなりました。 血だらけの乳首をいじると全部剥けたペニスがビクビクと上下に動きます。 タンポンを口に咥えて、乳首を左手でいじりながら、 ペニスを右手で擦りました。 自然に喉の奥から声が出てしまいます。 右手をすばやく数回動かすともう絶頂に達しました。 その瞬間口の中の先生の血と陰毛を飲み込みました。 お腹の上に僕の精液が飛び散ります。 体中、先生の血と僕の汗と精液でベトベトです。 お腹に飛び散った精液を広げて乳首に塗りたくりました。 精液と先生の血でぬるぬるの乳首はまだ敏感で、 乳首を撫でると射精しおわったペニスがビクンと動きます。 先生の血が混じった精液を指ですくって舐めました。 僕と先生が一体になったような感じがします。 ペニスはまだちょっと硬かったのですが、皮を元に戻して 亀頭を覆いました。
ベットから立ち上がってバスルームに向かいました。 バスルームについている鏡に僕の体が映ったとき、 とても気持ち悪くなってその場で吐きました。 胃の中から先生の血が出てきます。 全部吐き出したくて胃が痛くなるくらい吐きました。 そのとき、僕の顔は涙と鼻水でグチャグチャになっていました。 いそいでシャワーで全身を洗い、ボディーソープを空になるまで 体に振り掛けました。 バスルームから出るとベットの上の先生のタンポンとナプキンを捨て、 先生の血が染み込んでしまったシーツをベットから 剥ぎ取りそれも捨てました。

僕は本当に汚らわしい存在です。 生きていてはいけない存在です。 先生のような人にとって、僕はなんの価値もない人間です。 価値がないだけでなく、先生を汚したクズです。 僕は絶対に死にます。絶対に・・・。
あと39日。


昨日日記をアップロードしてから、なぜあのことを書いてしまったんだろうと 思い、今日はずっと後悔しています。 なぜアップロードしてしまったか自分でも分かりません。 更新しなければ絶対に誰にも知られなかったことなのに・・・。 もしかしたら他人から、「お前はクズ野郎だ」とか「気持ち悪い」と言われることで、 死ぬまでの僕のアイデンティティにしたかったのかもしれません。 僕はもう何があっても死ぬことに決めました。
なぜか涙が出てきました。 日記を書くのがとても辛いです。
あと38日。


一昨日の日記を消そうと思ったけど、やはり止めました。
僕は、今まで自分に嘘をついて人生を送ってきました。 楽しくないのに楽しいと思い込もうとしたり、悲しいのに悲しくないと 思おうとしてきました。 悲しい自分や寂しい自分を許してしまったら、 生きていくことが辛すぎるからです。
でも、もう嘘はつきたくないです。 悲しくても寂しくても他人から嫌われても、それは全部本当の僕です。 自分と向き合うのはものすごく辛いけど、 死ぬときくらい正直になりたいです。
あと37日。


生きていればいいこともある、そんな言葉は嘘だと思います。
自分をごまかしながらまた1年生きてしまいました。 別世界のように楽しそうな、大晦日から正月にかけてのテレビ番組も今年は見ません。 寂しい気持ちをごまかす必要はもうありません。
あと36日。


起きたとき、近所で正月のあいさつをしているのが聞こえてきました。 僕は、ベットの中で実際に死ぬときのことを考えていました。
地図で確認した山奥に入っていき、適当な木を見つけます。 縄で首が入るくらいの輪をつくり、太い枝にかけます。 何か台になるものを探し、それに乗って輪の中に首を入れます。 目を閉じ台を蹴って、数分経てば終りです。
もう苦しまずに死のうとは思いません。 綺麗に死のうとも思いません。 ただ確実に死ねればそれでいいです。
あと35日。


人間が生きているということは、中枢神経の機能が働いているということです。 中枢神経の機能が停止すれば、実質的に人間は死にます。 ただそれだけのことです。 脳が停止した人間は何も考えません。 地獄や天国は、人間が作り出したものです。 どんな哲学や宗教も死人には関与しません。 だからこそ死に救いがあると思います。
死んで楽になること、それが僕のたった1つの望みです。
あと34日。


死への恐れは本能的なものかもしれませんが、僕には恐れはありません。 死を恐れるのは生きる意思を持っている人だけだと思います。 生きていたいから、死を恐怖するイメージとしてとらえるのだと思います。
イメージすること、つまり脳の活動を突き詰めて考えていくと、 刺激の最小単位としての神経になります。 神経は神経細胞とシナプス、それに伝達物質で説明できます。 考えることや感じること、記憶すること、見ること、聞くこと、匂いを嗅ぐこと、 体を動かすこと、すべての機能の最小単位は神経です。 刺激は、神経細胞の中では電流として伝わり、シナプスでは伝達物質が伝えます。
そういった神経の集まりとして人間の思考がつくられていると考えると、 そこには神や宗教は存在しないように思えます。 細胞が何か考えて働いているわけではありません。 人間はただの機能の集まりです。
僕は、死は恐怖ではないと思います。
あと33日。


本当なら、明日はクリニックに行く日です。 でも、もう行くことはできません。 先生には会いたくありません。 会えるはずがないんです。 トイレのごみ箱を掃除するときに、中身がなくなっているのを 不信に思っているかもしれません。 僕が持って帰ったことを察しているかもしれません。
本当はそんなことではなく、僕自身の問題です。 睡眠薬をもらうために先生を騙してしまったし、自分勝手な欲望のために 先生を汚してしまいました。
明日からは、首を吊るための縄や山を登るための用具を揃えていこうと思います。
あと32日。


あの場所をインターネット上の地図で確認しました。 大雑把な位置しか分かりませんでしたが、ある程度特定できました。 もっと詳細な地図が必要です。 死ぬところは、スキー場やキャンプ場から離れた場所でなければなりません。 死んですぐに発見されたくないですから。 できれば誰にも知られずに消えてしまいたいです。
あと31日。


自殺決行日まであと1ヶ月です。
なんとなく100日あれば準備が整うだろうなと思っていたけど、 ほとんど準備らしい準備はできていません。 部屋にあった余分なものを捨てたくらいです。 自分が本当に情けなくて汚らわしくて生きる資格がない人間だと 改めて分かっただけでした。
明日はあの場所の地図を書店に買いに行きます。
あと30日。


以前、睡眠薬の本を探しに行った書店に行きました。 午後の早い時間は客があまりいないので本を探し易いです。
あの場所の地域の地図はあまりありませんでした。 温泉やスキー場などの観光地を紹介する地図は多いのですが、 あの場所のようにほとんど何もないところの地図は少ないです。
でも、1冊だけ25万分の1と10万分の1の2つの縮尺が 載っている地図がありました。 その地図にはバス停の場所も載っていました。 かなり山奥までバスが通っているようです。
電車の時間を調べるために時刻表も買いました。 電車は、都市部からあの場所の地域に行くものは、 朝早くに2本と夕方に2本の計4本しかありませんでした。 でも、場所を確認してくるだけなら充分です。 それに、決行日には帰ることは考えなくていいですから。
あと必要なものは防寒具です。 大学を辞めてからはまったく服を買っていないし、 あまり外に出ないので新しく買う必要もありませんでした。 アパートに帰って、押入れにしまいっぱないしだった衣装ケースを出してみました。 虫に食われていないか心配でしたが、数年前に買ってほとんど着ていない フード付きの厚手のダウンジャケットが綻びもなく入っていました。 手袋はコンビニで買えるし、靴はスニーカーで充分だと思います。
これで下見に行く準備がとりあえず整いました。
あとは、ホテルを探して予約を入れなければなりません。 インターネットでホテルを探してみましたが、どれも観光用のホテルらしく、 駅からかなり離れています。 もう1度本屋に行ってホテルが紹介されている本を買ってこなければならないようです。
あと29日。


今日は土曜なので午前中に昨日の書店に行きました。 休日の午後は客が多くなるので。
たぶん2泊することになると思うので、料金の安いホテルが 多く載っている本を探しました。
目的の本はすぐに見つかりました。 ビジネスホテルやカプセルホテルだけが載っていて、 ホテルの地図まで付いています。
その本の中から、駅から近くて料金が比較的安いホテルを2つ選びました。 1つ目のホテルで予約がうまっていても、2つ目があります。 どちらのホテルもシングルルームが百室以上あるので、 僕のような人間が泊まってもたぶん怪しまれないと思います。 それに、どちらもチェーンらしく東北地方の全部の県にホテルがあります。 このようなホテルなら従業員は事務的に接するだけのような気がします。 事務的に接するだけならまだ気が楽です。
明日はホテルの予約をするために電話をしようと思います。
あと28日。


午後3時頃、予約するためにホテルに電話をしました。
クリニックに電話をしたときのように、言うべきことを予め紙に書いておきました。 昨日買ったホテルの本に予約の方法が載っていたので、 だいたいのことは分かっています。 でも、1人でホテルに泊まるのは初めてだし、もちろん予約を入れるのも初めてです。 僕が予期すること以外のことを聞かれるかもしれません。 ものすごく恐かったです。 今回も、何度か言うべきことを口に出して言ってみました。
ホテルの電話番号を間違わないために、1回目にホテルの電話番号が 電話のディスプレイに表示されるようにして番号を押し、発信音が鳴る前に受話器を置き、 2回目にリダイヤルして電話番号が間違っていないことを確認しました。 3回目にもう1度リダイヤルしてホテルに電話をかけました。 今度は発信音が何度か鳴っても、クリニックのときのように途中で電話を 切ってしまうことはしませんでした。 これは死ぬための儀式みたいなことだと自分に言い聞かせてあったからです。 たしか3回目のコールのときに、
「ホテル○○でございます。お電話下さりありがとうございます」
と、丁寧ですがすごく事務的な声でホテルの従業員が電話を取りました。 僕は、ちょっとだけどもってしまいましたが、 ゆっくりと予約を入れたいことを告げました。 相手は宿泊する予定日を聞いてきたので、 僕は今月の18日と19日に泊まりたいことを言いました。 幸いなことにその日はまだ部屋が空いていました。 それから、相手は、宿泊する人数とホテルに到着する時刻、自動車で来るのかどうか、 こちらの名前と電話番号を聞きました。 僕はメモに書いてあることをできるだけ冷静に言いました。 ホテルの従業員は、予定がかわったときは連絡を入れるように言い、 事務的にお礼の言葉を言いました。 相手がまだ電話を切ってなかったので僕も電話を切らないでいたけど、 こういうときには僕の方から受話器を下ろすものだと思って、 少し間があいてしまったけど電話を切りました。
これで下見に行く準備がすべて整いました。 下見に行くまでの間に縄を用意しようと思います。
あと27日。


『完全自殺マニュアル』の首吊りのページを読み返しました。 以前読んだときに、重要な箇所は赤いポールペンで線を引いてあります。
首吊りに使う縄は、「なるべく柔らかく首にぴったりと フィットするものを選ぶこと」と書いてあります。 切断力のあるものは首を切り落とす可能性があるとも忠告されています。 車の牽引用ワイヤーを使ったときに首が切り落とされるのは、 僕でも容易に想像できます。 針金のようなものは使いたくないです。 死んでから首が切り落とされるならいいけど、意識が無くなる前に 首が切り落とされるのはやっぱり嫌です。 それに、切断力のあるものを使った場合、首を切り落とされるのを想像してしまって、 直前になって死ぬのをためらうかもしれません。
柔らかくて強い縄を使って確実に死のうと思います。
膝が地面についていても死ぬことは可能だとも書いてありますが、 その状態では自分で体重をかけて首を絞めなければならないと思います。 死ぬという強い意思がなければできないでしょう。 何度も失敗している僕のような情けない人間には、 とてもそんなことはできません。
足が地面につかないほどの高さに縄をかけるべきだと思います。
あと26日。


今日は下見に行くための荷物をリュックに詰めました。 必要最低限のものしか持っていかないことにします。 たぶんあの場所は多少は雪が積っていると思いますし、 長い距離を歩かなければならないでしょうから。 ダウンジャケットを探したときに出てきた軍手も持っていくことにしました。 高い木の枝に縄をかけるときに必要になると思います。 2泊するので替えの下着もリュックに入れました。
本当はあんな遠いところには行きたくないと思っています。 外に出たくないです。 でも、この部屋の中では首を吊って死ねないと思います。 部屋の中の高いところには縄をかける場所がないですし、 足がつくような位置では無理だと思います。 嫌でもあの場所に行く必要があります。 電車と新幹線に乗るだけのことです。
あと25日。


今日は縄を買ってこようと思ったけど、雨が降っていたので止めました。 大工道具や雑貨を扱っている店はかなり歩かなければならないので。
近所にも雑貨屋はありますが、小さな店なので入った途端に店員に 声をかけられてしまうと思います。 距離は離れているけど大型店ならば、こちらが尋ねない限り店員が 声をかけてくることはありません。 それに大型店ならば、買った品物を何に使うか聞かれることもないでしょうから。
雨の音を聞きながら、ぼうっと心の中の闇について考えていました。 心の闇は自分でもよく分からないものです。 触れてはいけないものかもしれません。 それに直面してしまった人が、猫を殺したり 小学生の首を切ったりしてしまうのかもしれません。 もし、誰でも心の中に闇の部分を持っているのだとしたら、 ほとんどの人がそれに気づいていないのだと思います。
僕は、もう自分の心の闇からは逃げられないと思います。
あと24日。


昨日、心の闇について書きましたが、僕は誰も傷つけたくありません。 でも、僕の中にも神戸の事件のように誰かを傷つける要素はあると思います。
道を歩いていて誰かに馬鹿にされ笑われていると感じると、 そいつを殺してやりたくなります。 心の中でそいつを何度も殴ったり蹴ったりします。 そいつの笑い顔や声を消そうとしますが、心の中で何度殴っても蹴っても 嘲笑されている感じは消えません。
きっと僕も酒鬼薔薇と同じ心の闇を持っていると思います。 だけど、誰も傷つけたくないし、傷つけられたくありません。 でも、僕が生きていくと誰かを傷つけてしまうし、自分も傷ついてしまう。 この前も自分勝手な欲望のために先生を汚してしまいました。 僕は自分の心の闇に耐えられません。
やはり死はたった1つの希望だと思います。
あと23日。


今日、縄を買ってきました。 一昨日書いた店ではなく、その途中にあるスポーツ用品店で買いました。 郊外の大型店だけあって様々なものが揃っている店です。
ほとんどの客はスキーやスノーボード用品のところにいたので、 数人の店員も客の接待でそちらにいました。 でも、客自体あまりいなかったので、いつ店員に声をかけられるかとても心配でした。 店員が僕のほうに来そうになると、 買うものを選んでいるそぶりをして別の場所に移動しました。
柔らかくて強い縄を探しました。 僕が求めていた縄はアウトドア用品のところにありました。 白い色の強い縄です。 素材はよく分かりませんが、これなら人間1人分くらい楽に吊り下げられます。 たぶん首を吊っている途中で切れる心配はないと思います。
万一のことを考えて3本買いました。 1本は下見に行くときに持っていくつもりです。
あと22日。


昨日買った縄で輪を作り、その輪の中に首を入れてみました。
縄を持ち上に引っ張ると輪がしまります。 ズズッという縄の擦れる音が耳の下の方で聞こえます。 確実に首が絞められています。 気管が絞めつけられて息ができなくなります。 しばらくして手を放し輪を緩めました。
実際の場面では、あのまま意識が遠くなっていたはずです。 たぶん苦しいと思うかもしれないけど、 痛みはほとんどないかもしれないなと思いました。 たとえ痛みがあったとしても、死に身を委ねてしまえば痛みは感じないと思います。
輪を作ったままの縄をリュックの中に入れました。
あと21日。


リュックの中には首を吊るための縄が入っています。
首吊りは、自殺するための絶対的と言っていいくらい確実な手段です。 はじめて手首にハサミをあてたときも同じような感覚でした。 「これで死ねる」と思うと、とても楽な気持ちになっていました。 でも、それは幾度か失敗してしまいましたが。
今度は確かに死ねると思います。 自殺が成功するイメージをちゃんと持つことができます。
下見に行って、そのイメージをより強固なものにしたいと思います。
あと20日。


明日持っていくものをもう1度確認しました。
リュックの中のものを全部出して1つ1つ確認していきました。 新幹線と電車の時間もメモと時刻表を突き合わせました。 新幹線に乗る時間は空いているときに合わせてあります。 新幹線を降りてから、また電車に乗らなければなりませんが、 地方の路線なのでたぶんそんなに混んでいないと思います。 もしかしたら、予約を入れたホテルの手違いで僕の予約が 取り消されたりしてしまっているかもしれないと思い、 ホテルが紹介されている本も一緒に持っていくことにしました。 ノートパソコンは持っていかないことにしました。 ホテルに通信するための設備があるかどうか分からないので。 財布の中のお金も確認しました。 往復の交通費と2泊分の宿泊代、それとは別に3万円を 銀行のATMで下ろしてきました。 財布を落としたときのために、財布とは別のところに1万円を 入れておきました。 すでに明日着ていく服をベットの横に置いてあります。 目覚まし時計もセットしてあります。 本当にすべての準備は整っています。
ものすごく憂鬱ですが、死に場所を確認するための下見です。 本心は、どこにも行きたくないし何もしたくないけど、 これをやらなければ死ぬことができません。 死んだら苦しみは終ります。 悲しみもなくなります。 もう孤独を感じなくてもいいんです。 明日やることは静かに死ぬための儀式です。
あと19日。


目覚し時計が鳴る前に目が覚めました。 アラームをセットした時刻よりも1時間も前です。 しばらくベットの横に置いてあるリュックを陰鬱な気分で眺めていました。 行きたくない、何もしたくないと思うけど、決行日はどんどん近づいてきます。 今、行動しなければ死ぬ機会を逃してしまいそうです。 いろいろと考えてしまうから、何か感じてしまうから苦しくなるのだと思い、 「何も考えないように、何も考えないように」と何度も自分に言い聞かせて ベットから這い出ました。
昼近い時間の空いている電車に乗り、新宿まで行きました。 新宿から中央線に乗り換え、東京に行きます。 新宿よりも遠い場所に行くのはものすごく久しぶりです。 中央線は先ほどまで乗っていた電車よりも混んでいます。 ドア側にいつも立っていて、なるべく窓の外だけを見るようにしていました。 同じ車両に乗っているほとんどの人が僕を見ているような気がしてしまうからです。 その人たちは僕を見て薄笑いを浮かべて馬鹿にしているような気がします。 だけど、もう心の中でその人たちを攻撃するようなことはしていません。 心に受けた傷を他人を攻撃することでごまかすことは、もうしたくありません。 ごまかすのは僕が弱いからだし、馬鹿にされていると思うのは他人が恐いからです。 本当に馬鹿にされて笑われているのかもしれないけど、 僕は暗くて気持ち悪くて醜い姿と心をしているのだからしょうがありません。 中央線に乗っている間は、何も考えず何も感じないようにしていました。
東京駅に着いたら、電車を降りてホームの人込みが捌けた後でエスカレータに乗りました。 新幹線の乗り換え口まで壁伝いに歩きます。 本当に人が多くて、その中に入ってしまったら、 たぶん気分が悪くなって吐いてしまうと思ったので。 なんとか乗換え口までたどり着き、自動券売機で乗車券と特急券を買いました。
新幹線では、1号車と2号車の間のデッキにずっといました。 はじめは席に座ろうと思ったけど、途中の駅で乗ってきた人が 僕の隣に座るかもしれないと思ったので止めました。 1時間半以上新幹線に乗り、また電車に乗り換えました。 地方の路線なので乗車客は少ないです。 でも、ここでも新幹線のときと同じ理由でデッキにいました。 雪が深く積っていることだけが心配でしたが、電車の中から見た限りでは、 山の中でも薄く積っている程度でした。 これならスニーカーでも大丈夫そうです。 気温もあまり低くないようです。
1時間以上電車に乗り、やっと予約したホテルのある街に着きました。 いかにも地方都市という感じで駅は古そうで、その周辺の建物も薄汚れています。
空が暗くなり始めていたので、メモを出してすぐにホテルを探しました。 予約を入れたホテルは簡単に見つかりました。 駅から1分もかからない、本当に近いところでした。 予約の電話を入れたときにホテルの従業員に伝えた到着予定時刻よりも 1時間も早く着いてしまったけど、ホテル側が定めたチェックインの時刻よりも 遅いので、特に問題はないと思いました。 多少緊張しながらフロントに予約をしていたことを伝えます。 フロントの人は、到着予定時刻よりも早く着いてしまったことについては 何も言わず、用紙に名前と住所と電話番号を書くように言いました。
部屋のキーを渡されてシングルルームに入り鍵を閉めたとき、 今日1日分の疲れがどっと出て、ベットに腰掛けたまましばらく何もできませんでした。 頭の中が小刻みに震えているような感じがしました。
今日は自分の感情を殺して行動しました。 何も思わないようにしていました。 何か思っても、その感情を無視していました。 ものすごく辛かったけど、これも死ぬためには必要です。 感情を解放してしまったら、決行日には絶対に死ねないような気がします。
やっとホテルまで来ることができました。 明日はあの場所を確認しに行きます。
あと18日。


ホテルではあまりよく眠れませんでした。 いつもと違うベットや枕、部屋の匂い、部屋の雰囲気、空調の音、廊下を歩く人の足音、 笑い声、カーテンから微かに差し込む暗い光、そういうものすべてのために なかなか寝付けませんでした。
やっと眠りに入っても、嫌な夢を何度も見て目を覚ましてしまいました。 いくつかの夢は起きた瞬間に忘れてしまいましたが、2つだけははっきりと覚えています。 1つは、僕がクリニックから汚物を持ってきたのを多くの人が知っていて、 笑われる夢でした。
「あいつ、タンポンを盗んだ奴だ」
僕を取り囲んでみんなが僕を嘲笑っています。 数人の女性は、「最低」とか「死んだほうがいい」と言っています。 僕はとても恥ずかしくて情けなくて、その場から立ち去りたい、 消えてしまいたいと思っているのに、どうしても足が動きません。 「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」と何度も謝ります。 それでも消えない笑い声と冷たい視線で心が張り裂けそうになったときに 目が覚めました。
もう1つは、離婚する前の父と母が喧嘩をしている夢です。 母が父に言います。
「子どもがいなければ、あんたなんかとはとっくに別れていた。 やっぱり堕ろせばよかった」
まだ小さい僕は台所の隅でうずくまっていました。 父と母はどちらが僕を引き取るかでもめているようでした。 僕は、暗い台所の隅で死にたいと思っています。 包丁を取り出して喉にあててみました。 でも、父も母も気づいてくれません。 そのときの僕は、なぜか成長した今の姿でした。 恐怖に震えながら喉に包丁を突き刺していくところで夢が終りました。

朝5時にセットしておいた時計に起こされ、吐き気がする程の頭痛がしましたが、 それでも身支度を整え、昨日、駅のコンビニで買ってきたパンを少しだけ食べました。
ホテルを出ると、肌の内側に入り込むような冷気を顔に感じます。 ここではまだ雪は降ってなかったけど、あの場所は もう雪が降っているかもしれないなと思いました。 電車は2両しかなくて、客も十人くらいしかいないようだったので席に座りました。
目的の駅には3時間半以上かかりました。 心配していた雪は降っていませんでしたが、刺すような冷たさがあります。 一面に薄っすらと雪が積っています。
バスはあと3時間待たなければ来ないようなので、歩いて行くことにしました。 コンビニで買った手袋だけでは寒さをしのげず、その上に軍手もはめました。 震えながら国道に沿って歩きます。 車はほとんど通らず人にも会いません。 ものすごく寒いけど、他人の視線を気にしなくていいのはとても楽でした。 きっと道を少し外れれば、誰にも気づかれずに死ねる場所はいくらでも ありそうです。 ここに来るまでとても辛かったけど、やっぱり来て良かったなと思います。 歩くたびにザクッと雪が潰れる音がします。 その音だけを感じながら、ただ淡々と歩きました。
国道を逸れて山道に入ります。 山道は足跡も車の轍も付いていません。 国道よりも多少雪が積っています。 スニーカーはもう濡れて湿っているのを感じるけど、かまわず歩きました。 歩いているときはほとんど何も考えませんでした。 無理に考えないようにしているのではなくて、誰にも会わないし、 僕を嫌な気分にさせるものは何もなかったからだと思います。 ただ17日後のためだけに歩いているという感じでした。
2時間くらい山を登ったとき、視界が開け、遠くにダムが見えました。 白い山に囲まれたダムが見えます。 そのとき、僕はここで死ねるという確信が持てました。 ここでならどんなに醜い死に方をしてもいいと思えました。
リュックからロープを取り出し、太い木を探しました。 実際はもっと道から逸れて奥に入るつもりですが、今はまだ死なないので、 あまり奥に入って道に迷いたくないので、この場で縄を木にかけてみることにしました。 ちょっと道から外れ森に入ると、光が遮られ道から見たより暗い印象を受けます。 どの木も太くて、人間1人を吊り下げられるくらいの枝をつけています。 定めた木の強さを確かめるために、手で押してみました。 枝に積っていた雪が落ちて、僕に降りかかってきました。 縄を投げて2メートル半くらいある高さの枝にかけようとしましたが、うまくいきません。 木に登って縄をかけることにしました。 何回か失敗し枝に足をかけることができました。 思った以上に枝がしなり、折れてしまうんじゃないかと心配になたったけど、 弾力があるほうが木は折れにくいとどこかで聞いたことを思いだし、 そのまま縄をかけました。 縄が解けないようにして輪のところに手をかけぶら下がってみます。 枝が折れなければここでも死ぬことができます。 僕がぶら下がり揺さぶってみても、枝はしなって曲がっていますが、 折れる気配はありませんでした。
着地し、輪を見上げます。 今、ここで死ぬことができると思うと、輪の中に首を入れてしまいたくなりました。 恐怖はまったく感じていません。 今までの辛くて悲しくて孤独だった自分を終りにできます。 自分にも自分の周りにも何の価値も見出せなかったし、これっぽちも明るい未来を イメージすることさえできません。 だから、消えてしまったほうがいい。 すべてを終わりにしてしまったほうがいい。
でも、そのときは輪の中に首を入れませんでした。 あと17日残っています。 日記を書き始めた頃は、約束の日じゃなくても死ねるときに死のうと思っていたけど、 今は決行日までの日記を書いて死のうと思っています。 僕は、あと17日分の日記を書いて死にます。
ホテルに帰って靴を脱いでみたら、肉刺がはぜていて靴下に足の皮がくっ付いていました。 靴擦れもできていました。 シャワーを浴びたとき鈍い痛みがあったけど、気にしないようにしました。 僕はもうすぐ死ぬのだから。
あと17日。


数時間かけて電車と新幹線を乗り継ぎ、東京に帰ってきました。
あの場所にいたときは、もう死ぬだけだからどんなに傷ついても大丈夫と 思っていたけど、人込みの中に入るとやはり他人の視線が気になります。 僕のことを誰かが噂して馬鹿にして笑っているような気がします。 僕の顔や髪型や服装を笑われていると思ってしまいます。 でも、他人を攻撃しないで、そう思う自分を受け止めていました。
アパートに帰ると、たった3日間留守にしていただけなのに、 自分の部屋ではないような気がしました。 リュックを置いてダウンジャケットを脱ぎベットに腰掛けたら、 日常の風景に戻ってきました。 この部屋の中であと半月生きることに耐えなければなりません。
あと16日。


今日は1日中ずっと寝ていました。 3日間の疲れが出たのだと思います。
あの場所の天気予報を見るためにテレビをつけました。 雪が降っているようです。 僕が行ったときも、少しだけですがパラパラと雪が舞っていたときがありました。 半月後にあの場所に戻るときは、もっと雪が積っているかもしれません。
自分自身の幕を下ろすためにきちんとした準備をしようと思います。
あと15日。


下見に行っている間にきていたメールに「死ぬ前に何かやりたいことはないのか?」 という内容のものがありました。
僕は、食べることに興味がないし、テレビゲームなどにも関心がありません。 CDや映画のビデオテープもすべて捨てました。 書籍も、決行日に持って行くホテルガイドと地図以外は1冊残らず処分しました。 押入れに入っている服もできるだけ早く捨てようと思います。 やりたいことなんて1つもないです。 もう母には会えないし、父とは会いたくありません。 クリニックの先生には本当に申し訳ないことをしてしまいました。
1人でひっそり死ねたら、それだけで満足です。
あと14日。


起きてすぐ、メモ帳に書き写した決行日までのカレンダーを見ました。 決行日以降の日にちは書いてないカレンダーです。 ホテルに予約の電話をした日に、このカレンダーを作りました。 1日が過ぎるとその日にバツをつけていきます。 バツをつける日は、もう残り少なくなってきました。
決行日は、あの場所に下見に行ったときよりも雪が積っていることを 考えると、スニーカーでは事足りないと思います。 登山用の靴を買うことをを考えましたが、普通のスポーツ用品店にはないだろうし、 専門店はどこにあるのか分かりません。 インターネット上に電子メールで注文できる店がありますが、 決行日まであと2週間しかないので、たぶん間に合わないと思います。 あの場所の駅にいた人たちは長靴を履いていました。 長靴では完全な代替品にはならないと思いますが、スニーカーよりましです。 それから、コンビニで売っていた手袋では不充分でした。 もっと厚手の手袋も必要です。 ダウンジャケットだけでは寒さをしのぐ事ができませんでした。 手袋と合わせて、スキー用の物を買おうと思います。
あと13日。


2つの大きな店舗のスポーツ用品店に行きました。
1つ目の店では、客が数人しかいなくて、店員の目が気になったので すぐに出てしまいました。
2つ目の店は、数日前に縄を買ったところです。 2、3年前のデザインらしく格安でスキー用品を売っていました。 スキーウェアは吊るしてあって、手袋とゴーグルなどはワゴンの中に入っていました。 そのワゴンの前にいた2人の女性が移動してから、そこに行って、 サイズだけ確認して適当に手袋を選びました。 スキーウェアも、本当にスキーに行くわけではないし、 目的は寒さをしのぐだけなのだから、サイズだけ見て適当に選ぼうとしました。 吊るしてあるスキーウェアのサイズを確認していたら、僕の方をじっと見てくる 男性がいました。 僕の気のせいではなくて、その男性はあからさまに僕の方を見ていました。 少し距離をおいて、僕のことを頭から靴まで観察するように見ています。 僕はものすごく緊張して、喉の奥が乾いているのが分かりました。 僕の体格に合ったサイズで一番左側にあったものを手に取り、 すぐにレジに持って行きました。
アパートに帰るとき、ずっとあの男性は誰だったのか考えていました。 高校か大学で一緒だった人かもしれません。 大学では、僕の存在はほとんどなかったと思います。 僕のことを覚えている人、というより知っている人はいないと思います。 高校では、友達は1人もいなかったけど、教室にいなければならないので、 クラスの中ではたぶんものすごく浮いている存在だったでしょう。 もしかしたら、高校のとき同じクラスだったのかもしれません。 僕の顔を知っている人は他にはいません。 「きっと大丈夫」と自分に言い聞かせてアパートに帰りました。
今日はだいぶお金を使ってしまったけど、1ヶ月分の公共料金と家賃、 それに実行のための交通費とホテル代くらいの貯金は残っています。 死ぬ前に僕の痕跡をすべて消してしまいたいけど、 実際にそんなことはできないと思います。 でも、できるだけやることをやってから死のうと思います。
あと12日。

今日の日記は2つになってしまいますが、どうしても書きたいことがあるので、 そのまま更新します。

ある方からのメールで、僕の日記を読む人の中には僕と同じような 自殺願望者がいて、決行日、つまりカウントがゼロになる日には その人たちも連鎖的に自殺してしまう可能性があると教えられました。
僕はその方のメールを読んだとき、鼓動がはやくなってノートパソコンの キーボードに置いた手が震えてきました。
僕は、死ぬ踏ん切りをつけるために日記をつけてカウントダウンしてきました。 何人かの方からは、「私も死にたい」というメールをいただいています。 でも、僕はその言葉を本当に信じることができなかったんです。 絶対に他人なんかに僕の辛さが分かるわけないし、 僕と同じような人はいないと思っていました。 僕が死ぬことで誰か自殺してしまう人がいるかもしれない、 そう思うとものすごく恐くなりました。 僕は日記を書くことでその誰かを傷つけていたのかもしれません。 自殺に追い込んでしまうくらいに。 実際には傷つけていなくても、崖の上に立っているその人の肩を 押していたのかもしれません。 僕は自分のことだけしか考えていませんでした。 僕は本当に情けない人間です。 なんでこんなことに気づかなかったのかと思います。 僕は本当に馬鹿な奴です。
でも、死にたい気持ちは強くあります。 心の大部分が死を望んでいます。 死ぬ準備は本当にすべて整っています。 だけど、僕が死んだら誰かが連鎖的に死んでしまうかもしれません。 そう思うと、どうしたらよいか分かりません。


昨夜は、どうしたらいいか分からずに考え込んでしまって、 まったく眠れませんでした。
もう1度、いただいたメールを読み返してみました。 すべてのメールには目を通していませんでした。 自殺するために有益な情報だけ読み、僕の自殺を止めようとする方や ただ罵倒するだけの人のものは読まずにいました。 自分にとって都合のいい反応しか受け取っていませんでした。 今、あらためて読み返すと、多くの方が本当に僕を心配してくれたのだなと思います。
「死なないで下さい」
その言葉の意味を僕はまったく分かっていませんでした。 単に、自分よりも人間的に劣る奴に同情している人が、 僕を見下して言っているのだと感じていました。 それに、手首を切ってからは、どんな罵倒のメールにも できるだけ動揺しないようにしました。 現職の精神科医の方からいただいたメールも無視していました。 自分の殻の中に閉じこもっていたのだと思います。 僕は、僕自身を情けなくてくだらない人間だと言うことで、 死ぬ以外の道を閉ざしていました。
数人の方から同じ質問をされています。
「あなたは本当に死にたいのですか?」
本当に正直に言って、今はよく分かりません。 今の心の中は、大部分が死にたいという気持ちです。 生きていてはいけないという思いでいっぱいです。 こんな情けなくて汚らわしくて醜い人間が生きていていいのだろうかと思います。 僕は、そういうくだらない自分を許すことができません。
確かに、死ぬことは生きることに対する単なる逃避だと思います。 病気などで死と同等の苦しみを味わっている方は、 自殺は本当に卑怯だと言うと思います。 みっともない行為だと思うでしょう。 でも、僕にとっては生きているほうがよほどみっともないと感じてしまいます。
他人の視線を気にして自意識過剰になって、最後には誰ともまともに 会話さえできなくなってしまいました。 異性とまともに話しができないから、漫画や自分で作り出した妄想の中に 性の対象を求めてしまっていました。 それだけではなくて、はじめてまともに会話した大人の女性にさえ、 あんなことをしてしまいました。
自分でも、確かに死ぬのはみっともないと思います。 でも、繰り返しになりますが、僕にとっては生きていることがそれよりも みっともないと感じます。
僕が死にたいのは、父や母のせいではありません。 僕のことを「気持ち悪い」と言った人のせいでもありません。 すべては自分のせいです。 無価値な自分を許すことができない自分のせいです。 僕の生は僕だけのものだし、僕の死は僕だけのものです。 とても孤独でした。
だけど、今は他人を感じることができます。 僕と同じように苦しんでいる人、僕を助けようとしてくれた人、 身内や友達を事故や自殺で亡くした人、僕を罵倒した人、 僕の日記なんか知らずに普通に生活している人。 そういう人たち、つまり僕にとっては他人には、僕の生や死に関与できません。 ただ存在しているだけです。 でも、今はその他人の存在を感じることができます。
僕は、何度も自分に問いました。
「本当に死にたいのか?」
死ななければならないという気持ちと、生きなければいなけいという気持ちの 矛盾した2つの思いがあります。 はじめは、本当に自分に正直になれば答えは出るはずだと思っていました。 死を選ぶのならば、もうこのサイトはすべて消してしまって、 決行日にあの場所に行って死ねばいい。 生を選ぶのならば、カウントダウンをやめて、日記に自殺は間違いだったと 書けばいいだけです。 だけど、どんなに考えても結論は出ませんでした。
薄暗い部屋の中で考え込んでいると、瞬間的にあの場所の景色が 頭に浮かびました。 あの場所から見た山に囲まれたダムの景色は本当に綺麗だと思いました。 あの場所に行くまで、僕は何も考えませんでした。 生きることも死ぬことも。 足に肉刺ができるまで歩いたのは初めての経験だったし、景色を見て綺麗だと 感じたのも初めてでした。
あの場所ならば、答えが見つかりそうな気がします。 僕は、もう1度、あの場所に行ってみようと思います。 あの場所で死ぬか生きるか選ぼうと思います。
カウントダウンをすることによって、この日記を読んだ人を 嫌な気持ちにさせてしまったと思います。 本当に申し訳ないと思います。 もうカウントダウンをやめようと思いました。 でも、決行日までカウントダウンすることで、自分でも信じられないほどに 行動的になれたことも事実です。 もしカウントダウンしていなかったら、たぶん部屋の中で何もできずに自分を責めながら、 生きているとも言えないような毎日を送っていたと思います。 そういう意味で、カウントダウンはし続けようと思います。 これからは、自殺するためのカウントダウンではなく、 答えを出すためのカウントダウンです。
あと11日。



昨日tripodのほうのページが削除されてしまいました。 なんとなく覚悟はしていたのですが、実際になくなってみると、とても不安になりました。 僕の存在が否定されたようです。
「お前は生きる資格がない」
そう言われたような気がします。
でも、そんなことは前から自分でも思っていたことです。 自分で思うのはいいのに他人から言われると動揺してしまう。 僕は本当に弱い人間なんだなと思いました。 死ぬことまで考えているのに、こんなに悲しい気持ちになるなんて…。 やはり、僕には死にたい気持ちと生きたい気持ちが共存しているようです。
tripodと同じようにこちらのサイトも削除されてしまうかもしれません。 でも、僕はできる限り更新し続けようと思います。 ページが見れなくなっているというメールを何通かいただいています。 僕の生死を心配してくれていて、このサイトをご存知ない方を知っている人がいたら、 どうかその方にお伝えください。
「僕はまだ生きています」
あと10日。